せつなくて、晴れやかで、平凡な事を考えた。

August 29 2005 21:33

先日ムーヴを修理に出した時に代車で来たスプリンター。
車の形状から、前後の長さ、シートの高さ、ミラーの形、その他諸々何もかもが違う。何せセダンに乗るのは教習所以来なもんで、視界は悪いわ、車幅は掴めないわでもう散々。
「やばいなー、ムーヴ戻ってくるまで、すっげー慎重に運転しないとなー」なんて思ったりもして。
駐車したらしたで、ムーヴのコラムシフトに慣れきった左手は、あれ?あれ?なんつって、シフトを見つけられないでいるし、左足は、無意識にパーキング踏もうとして、キックが空を切る。そんな始まり。
 
スプリンターに乗ったのは、たったの8日だった。
電話があったので、ムーヴを工場まで迎えに行き、乗り込む。
あれ?
高い視界は妙に居心地が悪く、駐車した時は、今度は左手が無意識にシートの横を彷徨っていたのだ。
 
5年連れ添ったムーヴに慣れきった体の無意識の動作も、たった8日間のスプリンター生活で失われたのだ。もちろん、またすぐにムーヴとのタンデムを体は思い出すだろうけども、でも、もしムーヴが返ってこなかったら、俺の体はそのままスプリンター仕様のままだったんだろうなぁ、とも思う。
 
人間にだって、きっとそれは同じで。
どんなに深い、感情や、熱情や、記憶や、憎悪や、安心感や、不快や、そんなものも、きっと手放せばすぐに、消えてく。
だってほら、昔一緒にいた彼女のことも、頭では覚えているけれども、かつてはきっと、無意識に合わさっていた些細な行動のリズムやそういうものは、もう何も、覚えてない。相手に合わせて無意識にしていたはずのちょっとした行動規範なんかだって、もぅ全然、遠いもので。
きっとそうして、人生は進んでく。男のコは、女のコと出会って、愛して、抱き合ったりフラれたり。そんな無限ループの中で、いろんなことを覚えて、いろんなことを忘れて、そして少しずつ前へ進んでいくんだと思う。
過ぎ去った事は、あくまでも過去の「何か」であって、現在の自分の「何か」では無い。きっといい想い出はいい想い出として、心の中のあったかな部分でひっそりと存在はし続けるけどでも、それは現在の自分の行動やら価値観なんてものとはまた違う次元の場所にあって。で、男のコはまた女のコを愛して、そんでそのコに行動規範やら価値観やら口調やら気の遣い方やらそんなものも、すっと染まってく。それでいーんじゃないかな。
 
自分なりに、今この時間を真っ正面から向き合って、
で、自分なりの幸福を選択していければ、それでいいと思ってる。


Categories: 思う。, 自分という存在。

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